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この街 第3部

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45年ほど前、正月に撮影。左から父の吉田三二さんと母正子さん。右に岩田正幸さん家族 震災犠牲者を追悼して建てられた地蔵を見つめる岩田正幸さん=神戸市長田区本庄町2
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45年ほど前、正月に撮影。左から父の吉田三二さんと母正子さん。右に岩田正幸さん家族

震災犠牲者を追悼して建てられた地蔵を見つめる岩田正幸さん=神戸市長田区本庄町2

  • 45年ほど前、正月に撮影。左から父の吉田三二さんと母正子さん。右に岩田正幸さん家族
  • 震災犠牲者を追悼して建てられた地蔵を見つめる岩田正幸さん=神戸市長田区本庄町2

45年ほど前、正月に撮影。左から父の吉田三二さんと母正子さん。右に岩田正幸さん家族 震災犠牲者を追悼して建てられた地蔵を見つめる岩田正幸さん=神戸市長田区本庄町2

45年ほど前、正月に撮影。左から父の吉田三二さんと母正子さん。右に岩田正幸さん家族

震災犠牲者を追悼して建てられた地蔵を見つめる岩田正幸さん=神戸市長田区本庄町2

  • 45年ほど前、正月に撮影。左から父の吉田三二さんと母正子さん。右に岩田正幸さん家族
  • 震災犠牲者を追悼して建てられた地蔵を見つめる岩田正幸さん=神戸市長田区本庄町2

 阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸市長田区本庄町。野田北部と呼ばれるこの地区で、元小学校教諭の岩田正幸さん(83)は、父の吉田三二(さんじ)さん=享年(87)=を亡くした。同じ敷地内に立っていた別棟の下敷きになった。

 はりが落ちてきて即死やったと思う。一緒に寝ていた母は小柄な人やったから隙間に入って助かった。焼き場まで見られなかったおやじの顔は思っていたよりもきれいやった。

 赤穂生まれの三二さんは1938年ごろ満州に渡り、南満州鉄道の鉄道員として働いた。終戦後、長田に戻ってからは兵庫県地方労働委員会で働いた。

 望んで満州に行った人やから視野が広くてね。「日本だけ見てたらあかん。世界の中で今、日本がどの立場にいるか絶えず見ておきなさい」って。

 「メイバンファー」。中国語で「仕方ない」などを意味する。引き揚げを経験した三二さんがよく使っていた言葉だ。

 ゼロからやり直そうという意味で、私もまねして言っていた。地震の後もその言葉が出てね。よし、ここからスタートしようって。

 岩田さんは街の復興に奔走。夜回りや子どもが喜ぶイベントに時間をさいてきた。しかし、仲間も高齢で抜けるように。地区内の大国(だいこく)公園で毎年1月17日に行う追悼式も担い手不足で、終了という話まで出た。

 それは絶対にあかんと思って。主催者を自治連合会から、僕らでつくる実行委員会に変更することで何とか続けている。

 10年ほど前からは、地区の子どもが通うだいち小学校で、放課後の自主学習教室「だいちてらこや」のボランティア指導を務める。

 地域の歴史や文化と併せて震災のことも教えている。いざというとき助け合えるよう、いろんな人と顔の見える関係をつくっておきなさいと伝えている。

 2019年の夏休みには、大国公園に震災犠牲者慰霊のために設置された地蔵の前で、初めて地蔵盆を開いた。

 ここになぜお地蔵さんがあるのか、知らない子どもたちがほとんどやった。街への愛着を育てるためにも地蔵盆という手段は最適やと思った。

 母方の祖父の代から住み続けてきた借地を購入し、家を新築したのは、震災3年前だった。

 こんないい話はないと借金して買った。震災で家は全壊したけど、絶対ここから動かないと決めた。

 三二さんの口癖は、もう一つあった。「as usual」。英語で「いつものように」。

 いつもまじめに頑張れって意味で使っていた。ええ言葉やねん。震災の教訓や経験を地道に、いつも伝えていく。それがおやじの供養になると思うから。

(堀内達成)

2020/1/13

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