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この街 第3部

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自宅前で父親の巌さんを連れて逃げた話を説明する川瀬喬さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太) 川瀬巌さん
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自宅前で父親の巌さんを連れて逃げた話を説明する川瀬喬さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太)

川瀬巌さん

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 JR摂津本山駅(神戸市東灘区)の南東にある住宅街の一角。川瀬喬(たかし)さん(81)は、阪神・淡路大震災の2日後に起きた火災の記憶を思い出す。(篠原拓真)

 「火事や」の声で外を見ると近くの家から火と煙が上がって、燃え広がっていたんですわ。おやじを背負って慌てて逃げました。

 震災で、2階建ての自宅は全壊した。1階がつぶれるだけでなく、2階すら残っていなかった。父が暮らす隣の兄の家は無事で、川瀬さん一家は兄宅の3階に避難した。その2日後、数軒隣の民家から火が上がった。川瀬さんは、1階で寝ていた父の巌(いわお)さん=享年(89)=を背負って家を飛び出した。

 娘と交代で背負い、近くの公園まで逃げた。兄貴の家に火は移らなかったんだけどね。体が弱っていたこともあるけど、背中のおやじはものすごく軽くて。がっしりしていたのに。少し寂しかった。

 巌さんは商店ででっち奉公し、その後、繊維の貿易商として独立した。真面目な性格で、子どもたちに手を上げることなど一切なかった。

 立ち上げた会社で親戚を雇うこともあったけど、僕らには「会社を継げ」と言わなかった。「自分の選んだ道を行け」って。

 週2日、往診で点滴を受けていた巌さん。しかし震災後はかかりつけ医が被災して往診に来られなくなった。体は次第に弱り、灘区の病院に入院。いったん回復して家に戻ったが、細くなってしまった血管に点滴を入れることは難しく、2月26日に息を引き取った。

 おやじが亡くなる5日前に東大阪市に引っ越したばかり。亡くなる前日の夜に「帰るで」と声を掛けたが、こちらの顔を見ているだけ。これが最後の姿だった。震災がなければ、もう1年は生きられたはず。

 震災から数年後。NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り(HANDS)」で当時代表を務めていた俳優の堀内正美さんと、本山中町2丁目にある中野北公園の慰霊碑を訪れた。

 堀内さんとは知り合いで、「川瀬さんの(父の)名前がないよ」と言われた。それまで慰霊碑があることも知らなかったし、初めて名前がないことも知った。

 昨春、地元住民らが4丁目の慰霊碑を建てた。

 気になっていたけど、なかなか自分が動くことができなくて。震災関連死として認定されたので、三宮の東遊園地には名前が刻まれているけど、この場所でも手を合わせることができる。

 川瀬さんは巌さんの写真を挟んだアルバムをめくりながらつぶやいた。

 本当にありがたいことやな。おやじ。

2020/1/8

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