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この街 第3部

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震災まで暮らした街でめいをしのぶ三宅淳子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太) 震災の年、三宅さん親子と初詣に出掛けた花野知子さん(左)
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震災まで暮らした街でめいをしのぶ三宅淳子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太)

震災の年、三宅さん親子と初詣に出掛けた花野知子さん(左)

  • 震災まで暮らした街でめいをしのぶ三宅淳子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太)
  • 震災の年、三宅さん親子と初詣に出掛けた花野知子さん(左)

震災まで暮らした街でめいをしのぶ三宅淳子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太) 震災の年、三宅さん親子と初詣に出掛けた花野知子さん(左)

震災まで暮らした街でめいをしのぶ三宅淳子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・秋山亮太)

震災の年、三宅さん親子と初詣に出掛けた花野知子さん(左)

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 交通量の多い国道2号。「阪神国道」と呼ばれた昔から、神戸市東灘区本山中町には安全を見守る「国道地蔵尊」がある。周りには阪神・淡路大震災まで市場があり、母親の営む美容院の近くに、三宅淳子さん(73)も兄一家も住んでいた。気が置けない下町暮らしの中心には、めいの花野知子さん=享年(20)=がいつもいた。(田中真治)

 トモちゃんは、すごい明るい子でね、落ち込んでるところを見たことがない。私がデパートで婦人服の販売をしていて、ちょっといいコートをあげたんです。そしたら、それを着てニコニコしながら、「おばちゃん」って売り場に来てね。恥ずかしがるとか全然ないの。

 あの日、揺れが収まるのを待って、アパートの2階の窓からなんとか外に出ると、市場にある実家と兄たちが暮らす国道沿いの「北村ビル」に駆け付けた。

 両親は折り重なるように下敷きになったけど、近所の人が引っ張り出してくれた。状況が分からなかったんやろね、父親は兄が来ないことに、「どないしてんねん」と怒ってたくらい。でも、兄のところを見た瞬間に「あかん」と思った。ぺしゃんこで「みんな亡くなった」と声も出なかった。

 兄たちは、半日がかりで助け出された。義姉はクラッシュ症候群で市外の病院に搬送され、何カ月も入院することになった。兄からは、がれきの下で「知子」と叫んだが、返事はなかったと聞かされた。

 遺体を出せたのは、確か翌日の夜でした。見守っていたトモちゃんの彼氏の車で、空いている遺体安置所を探して走り回りました。検視は立ち会わなかった。かわいいトモちゃんのまま別れた方がいいと思った。やっと見つけた西宮の葬祭場でも順番を待たされて、つきっきりでした。

 その後、不思議なことがあって。夜に避難所で寝ていたら、若い女の子の声で「お母さん」と言うてたよって隣の人が言うんです。トモちゃんが寂しくて付いてきて、私の口を借りたのかもしれへんね。

 高齢の両親のため、隣町にマンションを借りて住み始めた。めいのお骨も一緒だった。そこに、見知らぬ人たちが訪ねてきた。

 トモちゃんがアルバイトしていた飲食店の店長さんたちが、皆で来てくれた。その前も、勤め先の歯医者の先生が避難所に訪ねてこられた。どうして分かったのか驚いたけど、どこでも人気者やったんやな。

 実家は借地で、戻ることは考えなかった。電車で1駅の距離でも足は遠のいたが、昨春、慰霊碑ができたと知らされた。思い出深いだんじり巡行の日に合わせて出掛け、手を合わせた。

 思い出すのは、お地蔵さんで遊んでいた笑い顔や、おばあちゃんに着付けてもらった正月の晴れ姿。みんなに愛され、楽しいことが凝縮した人生だったのかもしれない。でも、やっぱり早すぎたね。

2020/1/7

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