但馬

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閉山前の1973年3月8日、撤去作業の進む坑内で記念撮影する伊藤真一郎さん(提供)
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閉山前の1973年3月8日、撤去作業の進む坑内で記念撮影する伊藤真一郎さん(提供)
閉山前の1973年3月8日、撤去作業の進む坑内で記念撮影する伊藤真一郎さん(提供)
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閉山前の1973年3月8日、撤去作業の進む坑内で記念撮影する伊藤真一郎さん(提供)

 1963(昭和38)年の冬は豪雪で、生野も1メートル以上、雪が積もりました。私が職員になった年です。その年、坑内が停電したことがありました。竪坑の巻揚機も排水ポンプも止まってしまいました。

 僕らは確か、光栄竪坑の一番下「29番坑」(地下730メートル)にいました。午後3時前に仕事を終えて地上に上がる予定が、停電でケージ(エレベーター)が動かない。ポンプが止まって地下水が竪坑を下へと流れ落ちてくるし、急ぐ必要がありました。

 ケージの脇には、非常用の13尺(約4メートル)はしごが掛けてあって、踊り場に上がると、またはしごがあって…と上に続いているんです。本坑の事務所に電話してから、僕が30人ほどを先導して上りました。人数を確認しながら「今から17番坑に上がる」と、その都度事務所に連絡しましたよ。全員上がるのに何時間もかかりましたが、最後は課長が坑口まで来て「伊藤くん、よくやった」とほめてもらいました。

 閉山する3年前の70年1月、最初の「山はね」が起きました。社宅にいた僕のところにも「ドーン」と音が聞こえました。「坑内で何かあったな」と思い、急いで出社すると、みんなすでに来ていて「どうやら、はねたみたいやぞ」と。鉱員を坑内に入れるのは危険なので、先に職員が中に入り、手分けして坑道を点検しようということになりました。

 山はねの現場にたどり着くと、坑道がつぶれてるんです。トロッコはひっくり返り、レールがバーンと上に飛んでいた。山はねというのはすさまじいですよ。それから少しすると、今度は作業中に別の山はねが起きた。「いっそう大きいのが来たら、人的災害になるぞ」と問題になりました。

 当時の生野鉱山はカドミウムの公害問題で、新聞やラジオで散々たたかれ、貿易の自由化もあって、鉱石を掘れば掘るほど赤字の状態になっていました。本社からも調査に訪れ、山はねの状態を見たりして「閉山やむなし」と。強気だった労働組合も最後には折れて、73年3月末で閉山することが決まりました。(聞き手・長谷部崇)

【山はね】地下深くで岩盤の圧力が高くなり、坑道がつぶれる現象。「明治以降の生野鉱山史」によると、最初の山はねは1970年1月26日早朝、金香瀬坑内の地下330~420メートルで発生。延長約150メートル、上下約90メートルにわたって坑道が崩壊した。始業前のため人的被害はなかった。

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