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A-yanTokyo代表の福田信章さん=東京都中野区、東京災害ボランティアネットワーク事務所
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A-yanTokyo代表の福田信章さん=東京都中野区、東京災害ボランティアネットワーク事務所
1月11日に東京・有楽町で開かれた阪神・淡路大震災の追悼行事
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1月11日に東京・有楽町で開かれた阪神・淡路大震災の追悼行事

 1995年だけで、のべ138万人のボランティアが阪神・淡路大震災の被災地に入った。当時、東京都内に住む大学生だった福田信章さん(46)もその一人だ。現在、東京災害ボランティアネットワーク事務局長を務め、関西弁の「ええやん」にちなんだ団体「A-yan Tokyo」の代表としての顔も持つ。「A-yan」は阪神・淡路支援に携わった首都圏のボランティアたちが95年に結成し、被災者の声に耳を傾けた聞き書き本『震災が残したもの』の発行を重ねてきた。震災から四半世紀、聞き書きを通じて見えてきたものは何か。「被災者一人一人については分からない、としか言いようがないですよ」。福田さんはそう言いながら、語り始めた。(段 貴則)

 -生まれも育ちも東京。縁もゆかりもない被災地へ、よく飛び込みましたね。

 「初めて神戸に入ったのは95年2月。警備員のアルバイトでした。期間は4週間で、日当は確か3万円。避難所にもなっていた県営住宅の管理人室に24時間交代で詰めていました。管理人室にいると、避難者の人と顔見知りになるし、いつも避難所でボランティアをしている同世代の人が、余った弁当なんかを『もったいない』と持ってきてくれた。それで、自分もアルバイトが休みの日に避難所で何か手伝おうと思ったのがきっかけです」

 -なぜ一過性のボランティアに終わらず、東京から被災地に向き合い続けてきたのですか。

 「もともとボランティアは技術がある人、手に職を持つ人がやるものと思っていた。学生にもできることがたくさんあると分かり、だったらと始めました」

 「A-yanは、東京近郊から阪神・淡路の被災地へボランティアに行った人たちの集まりで、自然発生的にできました。被災地の現状を知れば、短期間で支援を止めるわけにはいかないと思っていた。聞き書き集の発行を始めた理由も単純で、神戸で2カ月間のボランティアを終えて東京に戻ったとき、僕たちが被災地で聞いた話と東京で報道される被災者の声は、いい話も悪い話も、全然違うと感じたから。東京に被災者の生の声を届けよう、神戸の今を知ってもらおう。そう思って、交代で神戸の避難所や仮設住宅を訪れ、知り合った人に話を聞きました」

 -福田さんは『震災が残したもの』第1集に「人はどうあるべきか、震災が日本全体に問いかけた」と寄せています。印象的でした。

 「僕を含めて学生は他人の生活や暮らしに触れた経験がない。それがボランティアとして避難所や街中にできたばかりの小さな仮設を回り、訪問活動を経験しました。一番感じたのは、普段から生活がしんどい人は、被災すると本当にしんどくなるということ。高齢者がエレベーターが動いていない集合住宅で水を運んでいたり。誰も支援が入っていない地域もありました。避難所では1人暮らしの高齢者、生活が苦しい人が最後まで残った。普段、社会から見えないように閉じられていた蓋(ふた)が、震災で外れたという印象でした。被災地のどこに行っても、そういう場面が見えました」

 「避難所も『一緒に頑張ろう』という雰囲気だったのに、仮設住宅ができると雰囲気が変わった。仮設に当選した人、自力で自宅を再建した人たちが避難所を出て、人が減っていく。当選者に『私よりマシなのに』などと、むき出しの本音も向けられた。それがいいとか悪いじゃない。悔しいのは当たり前です。僕だってそう思うだろうし」

 -第1集の発行は95年9月です。阪神・淡路大震災から間もない時期に、このタイトルを選んだ理由は?

 「2011年の東日本大震災の後、東北の図書館に全集を送ったんですけど、当初は、次の災害に役立てようということまでは考えていなかった。でも、阪神・淡路が残したものは何だろうか、という問いかけはずっと胸にありました。一応、みんなでタイトル案を考えたけど、僕はこのタイトルを譲るつもりはなかった。被災者の声を聞き続けることが『残したもの』になるとの思いもあったし、10年くらい続けなければ見えてこないだろうとも思っていました。震災10年に合わせた第10集に、震災当時は小学5年生で、毎年1月17日になると亡くなった同級生の自宅に集まる男性たちの話を載せています。20歳を過ぎて震災をどう受け止めているのか、ある意味『残したもの』は彼らだと思います」

 「一方で、被災者それぞれにとって『残したもの』は何かと聞かれれば、人によって違うとしか言いようがないですよね。一人一人の中でも、時間とともに変わっていくはずです。ただ、自分たちに置き換えて考えると、言えることがあるんじゃないかと思っています」

 -それは、どんなことですか。

 「僕自身で言えば、阪神・淡路当初から、これから先は市民活動というか、防災・減災の活動に取り組みながら生きていくんだろうと思っていました。災害を社会課題として根付かせようとしている人たちは、阪神・淡路を原点としている人が多い。そしてこの25年の間に、防災・減災について当たり前に語り合う社会になった。僕も含め、災害の分野で仕事をし、経験を被災地支援や次の災害への備えに生かせる社会になったと思います」

 -今、阪神・淡路が残したものを社会に根付かせるために、求められることとは何でしょう。

 「災害ボランティアだけでなく、さまざまな市民活動やNPOの団体が継続して活動できる基盤が必要だと思います。神戸には震災後、さまざまな活動が積み上げられてきた環境があります。ただ全国的には、阪神・淡路後に防災・減災活動への関心がぐっと高まったものの、5年を過ぎたあたりで薄れたように思う。それが東日本大震災後に再び関心が集まり、その熱は今も冷めていないと感じる。各地で専門性を持った仕事や活動を広げ、神戸のような基盤を整えていくことが大切なのではないでしょうか」

     ◇     ◇

【キーワード】「震災が残したもの」 1995年9月に第1集を発行。現在14集まで完成し、15集の一部をインターネットで先行公開している。1冊500円、1~3集の合本1300円(送料別)。A5判。A-yan TokyoのHPで通信販売を受け付けている。

【ふくだ・のぶあき】1973年東京都生まれ。中央大学在籍時に、阪神・淡路大震災のボランティアを始め、97年「A-yan Tokyo」代表。2015年から東京災害ボランティアネットワーク事務局長。

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