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1995年春の平尾誠二さんと子どもたちを捉えた写真パネル。中央の後ろ姿が大江俊さん=神戸市中央区波止場町
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1995年春の平尾誠二さんと子どもたちを捉えた写真パネル。中央の後ろ姿が大江俊さん=神戸市中央区波止場町
現在もラグビーを続ける大江俊さん(左)と3歳の長女月ちゃん(本人提供)
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現在もラグビーを続ける大江俊さん(左)と3歳の長女月ちゃん(本人提供)

 ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会で20日、日本がベスト4を懸けて南アフリカと戦う。この日が命日にあたる元日本代表監督の故平尾誠二さんは、阪神・淡路大震災の後、ラグビーで被災地の子どもたちを元気づけていた。台風19号被害が広がる中での日本の大一番。25年前、平尾さんの教えを受けた男性は「ラグビーには被災地を勇気づける力がある」と“ワンチーム”の闘いを楽しみにしている。(堀内達成)

 W杯神戸会場での試合に合わせ、神戸・メリケンパークのファンゾーンに展示された1枚の写真パネルがある。平尾さんに数人の男児が果敢にタックル。平尾さんの口元はほほ笑んでいるように見える。

 阪神・淡路から2カ月後の1995年3月、平尾さんが所属していた神戸製鋼が、尼崎市内で開いたラグビー教室の様子だ。

 背中に「大江」という名前が書かれたゼッケンを着けた男の子がいる。当時5歳で、芦屋ラグビースクールに通っていた大江俊さん(30)。現在は東京で会社勤めをしている。

 神戸市東灘区の六甲アイランドに住んでいた大江さんは、大きな被害は受けなかったが、始めたばかりのラグビーの練習はままならなかった。

 芦屋ラグビースクールで当時代表を務めていた野中喜好さん(68)=西宮市=は「生徒2人とコーチを含む一家4人が震災で亡くなった。練習拠点の公園には仮設住宅が建って、場所を探しながら練習している時期だった」と振り返る。

 一方、神鋼も神戸市東灘区にあった社員寮が被災し、グラウンドも液状化で練習できない状況だった。そんな中、ファンや子どもたちに喜んでもらおうと教室を催したという。

 沈みがちだった子どもたちは、あこがれの神鋼の選手らに目を輝かせた。平尾さんも「子どもたちが走り回っている姿を見るとわれわれも元気になり、ほっとします」と話したという。

 大江さんは地元の向洋中や県立芦屋高校で競技を続け、現在も会社のラグビー部でプレーしている。

 阪神・淡路の思い出、東日本大震災被災地で今回W杯の会場となった岩手・釜石。大江さんは「被災地を盛り上げるスポーツの力はすごい」と話す。南アフリカ戦では「平尾さんが目をかけていた山中亮平選手ら神鋼メンバーが活躍し、勝利をもぎ取ってほしい」と願った。

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