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国立ワルシャワ・フィルハーモニーのホール=ポーランド・ワルシャワ市内
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国立ワルシャワ・フィルハーモニーのホール=ポーランド・ワルシャワ市内
原智恵子さん
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原智恵子さん

 舞台から無人の客席を眺めると、ホール全体の厳かな雰囲気が伝わる。ショパン国際ピアノコンクールの会場、ポーランドの国立ワルシャワ・フィルハーモニーのホール。5年に1度、一流ピアニストが集い世界一を競う。

 建物は第2次世界大戦で破壊されたが、1955(昭和30)年に再建。同フィルハーモニーのクシシュトフ・オフチンニック教育部門副課長(52)は「指揮者のマーラーら名だたる音楽家が舞台に立った」と胸を張る。

 チャイコフスキー国際(ロシア)、エリザベート王妃国際音楽(ベルギー)と並び三大コンクールとされるショパン国際ピアノコンクールは、27年に初めて開かれた。

 同コンクールはショパン作品だけを課題にする。祖国が生んだ巨匠の音楽性を残したい-。ポーランド人の願いが込められている。

 37年、原智恵子さん(1914~2001年)が22歳で同コンクールに挑戦し、21カ国250人の中で15位。しかし、その順位の低さに聴衆は激しく反発した。結果、「特別聴衆賞」に選ばれ、日本人で初の受賞者に。「東洋の奇跡」とたたえられた。

 原さんは、川崎造船所の技術者の娘として神戸市須磨区で生まれた。幼少からピアノを学び、外国人の指導も受けて素質を育み、13歳でフランスに留学。日本人で初めて国立パリ音楽院を首席で卒業した。まさにピアノの申し子だった。

 同コンクールの道を切り開く先駆者となったが、第2次世界大戦で日本に帰国を余儀なくされる。国内で英米の音楽は「敵国文化」として禁止に。奈良佐保短大講師の多田純一さん(47)によると、15の音楽雑誌も三つに統廃合され、西洋音楽は危機に立っていた。

 そんな中で原さんは演奏会を開いた。コンクール受賞者が弾くショパンの調べは、戦時中でも巨匠の名を日本人の心に刻ませた。

 神戸女学院大音楽学部の津上智実教授は、原さんの戦時中の記録を収集する。軍人援護の公演もあり、苦心が垣間見えるが「おかげで日本のクラシック音楽は命脈を保てた」。

 原さんは戦後、神戸女学院で教べんを執り、演奏を続けた。57年、神戸新聞の取材で日本の音楽を「お嬢さんの芸を脱していない」と憂い、本格的教育の必要性を訴えた。翌年、再び欧州へ旅立った。津上教授は「世界に通用する演奏家を育てたかったのだろう」と分析する。

 戦後、12人の日本人がショパンコンクールで入賞。後人のピアニストたちが、原さんの願いを結実させていった。(津谷治英)

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