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国立ショパン音楽大学玄関ロビーにあるショパンの胸像=ポーランド・ワルシャワ市内
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国立ショパン音楽大学玄関ロビーにあるショパンの胸像=ポーランド・ワルシャワ市内
高橋多佳子さん
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高橋多佳子さん

 低層の近代的な建物の玄関を入ると、ロビーでフリデリク・ショパン(1810~49年)の胸像が迎える。ポーランドの首都ワルシャワ市にある国立ショパン音楽大学。国内に加え、世界各地から演奏家を目指す若者が留学してくる。

 ロビー階を上がり、廊下奥に進むと、簡易型の細長い自習用ピアノが壁にびっしりと並んでいた。学生は自分の音を確かめるように鍵盤と向き合う。真剣な表情は修行僧のよう。ここは神聖な道場といえる。

 ショパンの師、作曲家エルスネルにより創設された音楽院が発祥だ。学士課程、大学院をはじめ実技レッスンだけを受講する研究科もあり、日本人も同科を中心に約20人が学ぶ。

 大阪府吹田市から留学する西尾仁美さん(27)は、日本の大学を経て2年前からピアノの技を磨く。

 「ポーランド語が難しくて困ってます」とはにかむが、音楽の話になると「ここの先生の『音』のこだわりはすごい。テクニックよりも心情を大切に弾くよう指導されます」と熱く語った。

 ピアノの音。

 ショパンを理解するうえで、重要なキーワードの一つだ。神戸市出身の原智恵子さんが日本人初の受賞者になったショパン国際ピアノコンクールの審査でも重視される。戦後、日本人12人が入賞。音へのこだわり抜きに栄冠はなかっただろう。

 1990年に5位入賞を果たした高橋多佳子さんもその一人だ。ショパン音楽院(現ショパン音楽大学)の大学院に留学し、ポーランドには10年滞在。この国の歴史を重ねながら、楽譜の奥に秘められた深層心理を追ってきた。「不安、悲しみ。深いものをはらんでいる。死の影すら感じる」と分析する。

 ショパンは子どものころから肺を患い、生涯、病に悩まされた。一見、華やかな音楽活動も、家族と別れてフランスで孤独な生活の中で続けていた。ジョルジュ・サンドをはじめ3度の悲しい恋も経験。最後まで帰郷がかなわず世を去った。

 「平和な日本に住み、健康な私には想像すらできない悲しい人生だった。美しいメロディーだけではなく、ショパンの生涯や歴史を思い浮かべながら弾きたい」と高橋さん。「音に込められた繊細さは、日本人の美学に通じると思います」。愛される背景についてそう語った。

 ショパンは楽譜という「キャンバス」に音で芸術を描いた。曲名を言葉で表現することすら嫌った。まさにピアノの詩人だった。(津谷治英)

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