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三木飛行場の復元図や航空写真を基に、「整備が進めば西日本の陸軍本拠地になったのでは」と語る宮田逸民さん=三木市立中央図書館
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三木飛行場の復元図や航空写真を基に、「整備が進めば西日本の陸軍本拠地になったのでは」と語る宮田逸民さん=三木市立中央図書館
「根拠飛行場」として「三木」の名が記された「本土航空作戦記録」(国立国会図書館デジタルコレクションより)
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「根拠飛行場」として「三木」の名が記された「本土航空作戦記録」(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 太平洋戦争末期に兵庫県三木市と加古川市、同県稲美町にまたがって造られた「三木飛行場」を、米軍艦船を攻撃する本拠地とする計画があったことが、旧陸軍省を戦後改組した第1復員局の書誌「本土航空作戦記録」で分かった。同飛行場は操縦士の養成を目的に整備されたと伝えられてきたが、国内有数規模の滑走路を備えており、「大規模な飛行場を造った謎が解けた」と、「三木飛行場を記憶する会」代表の郷土史家宮田逸民(としたみ)さん(63)=三木市=は語る。滑走路の舗装前に終戦を迎え、計画は実現しなかった。(井川朋宏)

 三木飛行場についてはこれまで、勤労奉仕で突貫工事に当たった人々の苦労や、特攻隊として飛び立った若者の死といった歴史が伝えられてきた。一方で、ほとんど痕跡が残っておらず、当時の飛行場としての位置付けもはっきりしていなかった。

 「本土航空作戦記録」は終戦後の1946(昭和21)年12月の作成。戦争関連の跡地などを調査する大阪市の不動産業水野憲一さん(44)が、国立国会図書館デジタルコレクションから発見した。今年5月、加古川市内であった三木飛行場などに関する企画展で、20年以上前から同飛行場について調べている宮田さんに伝えた。

 同記録によると、終戦約1カ月前の45年7月1日、最新鋭の4式重爆撃機「飛竜」を使用する飛行第7戦隊を、近く三木飛行場に配備することが計画されていた。

 こうした主力部隊を置く飛行場は「根拠飛行場」と呼ばれ、記録には三木飛行場と児玉飛行場(埼玉県)が記されていた。三木を西日本、児玉を東日本の拠点にする計画だったとみられる。

 「但(ただ)し完整(完成)まで伊丹(伊丹飛行場。現在の大阪空港)」と付記され、次のような説明もある。

 「伊丹飛行場は周囲の地形飛行機の秘匿位置設定に適せさる為(ため)/三木飛行場(加古川北方)に所要の施設を行ひたる上之(これ)を使用するに決す」

 宮田さんは「当時山林が多かった三木周辺は、飛行機を隠すのに適していたのだろう」と指摘。「本土決戦に向け、攻撃の最後の切り札として拠点になるはずだったのでは」と推測する。

    ◇  ◇    

 三木市福井の市立中央図書館では18日まで、三木飛行場にまつわる展示会が開かれている。当時の写真や文書、飛行機の模型などの史料約150点が並ぶ。無料。午前10時~午後6時(18日は午後4時まで)。同館TEL0794・83・1313

【三木飛行場】 旧日本陸軍が1944(昭和19)年3月から、三木市と近隣の約200ヘクタールを買収し建設。土造りにより全国有数規模の最長2千メートルの滑走路3本のほか、格納庫、兵舎を備えた。同年10月に操縦士の訓練を開始。翌45年春、訓練した特攻隊の24機が沖縄戦に向け飛び立ち、多くが戦死したとされる。現在は農地や工場が広がり、真っすぐに伸びる道路が当時の面影を残している。

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