三田

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摂州有馬細見図独案内 元文2(1737)年版(神戸市立博物館蔵)
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摂州有馬細見図独案内 元文2(1737)年版(神戸市立博物館蔵)

 江戸時代中期の1737年に記された有馬温泉(神戸市北区)の地図を見ると、現在の「金の湯」の隣に「素麺(そうめん)屋」という宿があります。

 なぜ江戸中期に素麺の宿が有馬にあるのでしょう。そこである時、素麺について調べました。素麺は奈良時代に遣唐使が持ち帰った「索餅(さくへい)」が起源で、平安時代には宮内の七夕儀式に索餅を供えて無病息災を祈念し、七夕に食べる習慣が広まったということです。

 素麺というと、発祥の地とされる奈良の「三輪素麺」、三輪から波及した「播州素麺」「小豆島素麺」が三大素麺として有名ですが、神戸にも「灘目素麺」というのがあったそうです。

 灘目は武庫川から生田川の間の24キロほどの地域で、つまり日本酒の名産地「灘五郷」です。灘の酒は六甲山から流れる急流を利用して水車をつくり、精米することで切れのあるおいしい日本酒ができたのです。

 その水車は製粉にも使われていました。秋になると農家の人たちが灘に米を持ってきます。酒造りは主に丹波や但馬の人々が担っていたので、農家の人々が栽培した小麦で素麺をつくっていたのかもしれません。

 神戸市東灘区を中心とした「旧本山村」の村誌には江戸後期の1789~1801年には既に素麺をつくっており、「播州龍野素麺」の製造技術は江戸後期の1818~29年に村の出稼ぎ人が持ち帰ったという伝承が記されています。

 しかし、播州素麺の歴史を見ると江戸中期の1771~80年には素麺がつくられ、江戸後期の1804~18年に龍野藩が保護育成を始めたとあります。どちらが真実なのかは分かりませんが、龍野の人が灘の素麺を視察に行ったとしても不思議ではありません。

 産地でいえば、島原の素麺は古くから三輪に供給されて「三輪素麺」として売られていました。製造技術は小豆島の人々が島原の乱の後に移り住んで伝えたというのは有名な話。二つの島の町並みはよく似ていたようです。

 やや脱線しましたが、話を最初に戻して、有馬には1737年の時点で素麺屋が存在していました。つまり、播州素麺や灘目素麺よりも前です。有馬は奈良と結びつきが深く、三輪の素麺文化が直接入ってきていた可能性が考えられます。

 奈良-有馬の道中にある西宮市北部では興味深い食べ方があります。葬儀などの際にお手伝いの人たちに振る舞う料理で、素麺にちらしずしのように具を飾り、酢みそで食べます。

 素麺は保存食で高級品だったので、不意の時のごちそうに便利だったのでしょう。(有馬温泉観光協会)

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