三田

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たくさんの人と食卓を囲んで楽しむ伊藤キク子さん(中央)=いこいの家さんだこども・地域しょくどう
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たくさんの人と食卓を囲んで楽しむ伊藤キク子さん(中央)=いこいの家さんだこども・地域しょくどう
2階だけが残った伊藤さんの住居。町は壊滅状態だった=岩手県陸前高田市高田町(伊藤さん提供)
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2階だけが残った伊藤さんの住居。町は壊滅状態だった=岩手県陸前高田市高田町(伊藤さん提供)
神戸新聞NEXT
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 東日本大震災から11日でもう9年になる。人々は年齢を重ね、まちの風景は変わっていく。大津波で岩手県陸前高田市の自宅が流され、兵庫県三田市へ夫婦で避難した伊藤キク子さん(83)。6年前に夫を病気で亡くして気持ちが沈んだが、新旧の友人に支えられてきた。ただ、遠い故郷への思いは今も変わらない。「生きてるうちにもう1回、高田に行きたいねえ」(山脇未菜美)

 あの日、夫婦は友人からワカメをもらうため、車で北側にある大船渡に向かっていた。突然、道路が波打つような揺れに襲われた。自宅に戻った2人。窓の外を見ると「砂煙の壁」が迫ってくるのが見えた。その瞬間、辺りにバリバリバリとごう音が響く。夫婦は裏のリンゴ畑の坂を駆け上がった。後ろを振り向くと、家は水に流されていた。

 地域の公民館で避難生活をおくり、8日後に神戸に住む長男の紹介で三田に来た。すぐに陸前高田に戻るつもりだった。でも、身内が用意してくれた被災者向け市営住宅へのありがたみも募った。「みんな大変な思いで生きてるから。我慢できました」

 三田の生活にも慣れてきた2014年8月、夫の信平さんが肺がんで亡くなった。今まで自分たちの着る服は自分で編んできたが、それもやる気がなくなった。独りでご飯を食べ、テレビを見るのがさみしかった。そんな時、外に連れ出してくれたのは、社交的な夫がつないでくれた同じアパートの住民だった。毎朝、一緒に近くを散歩し、月2回は地域食堂の「いこいの家さんだこども・地域しょくどう」を訪れた。子どもたちのにぎやかな声に癒やされた。

 陸前高田への思いはずっと心にある。最後に訪れたのは3年前。がれきが広がっていた市街地は、切り崩した山の土が投入され、最大で高さ16メートルまでかさ上げする事業が進む。大型商業施設が際立ち、周囲の民家はまばらだった。高齢化も進み、病気で連絡できなくなる友人も出てきた。

 復興はまだまだ途上だと感じる。それでも農家の友人は、農業振興のため新種野菜の栽培に取り組む。別の同級生は手紙をまっすぐ書くのが難しくなってきたキク子さんに「そんなことでめげちゃだめ」と背中を押した。「みんな元気、元気。くよくよしちゃいけない」。85歳まで健康で過ごし、陸前高田で“飲み会”をする。それを目標に今、三田の日々を暮らしている。

【岩手県陸前高田市の被害】県の南東に位置し、津波が押し寄せ全8069世帯のうち、半分の4063世帯が家を失った。最高浸水高は17・6メートル。犠牲者は人口2万4246人に対し、1757人(行方不明者を含む)だった。津波と地震により市内の99・5%が被害にあった。

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