三田

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三田城跡を見学する人々=三田市屋敷町
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三田城跡を見学する人々=三田市屋敷町
明智光秀と三田について講演する桐野作人さん=けやき台1
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明智光秀と三田について講演する桐野作人さん=けやき台1
神戸新聞NEXT
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 三田にも麒麟が来た?! NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で戦国武将・明智光秀が注目される中、「だれが信長を殺したのか」などの著作がある歴史作家の桐野作人さん(65)=東京都=が13日、三田市内で講演した。「光秀の丹波平定と三田」と題して話した桐野さんは、1578(天正6)年の織田信長勢による三田城攻めを挙げ、「三田は丹波・播磨を平定するために戦略的に重要な地だった」と指摘した。

 講演は北摂情報文化懇話会(事務局・神戸新聞北摂総局)の2月例会として、ザ・セレクトンプレミア神戸三田ホテル(けやき台1)で開かれた。

 講演の冒頭、「光秀は三田に来ています」と話した桐野さん。証拠となる史料として、同年に光秀がしたためた手紙を解説した。

 当時は畿内から播磨にかけて大坂本願寺のほかに、三つの反信長勢力があった。伊丹・有岡城の荒木村重と播磨・三木城の別所長治、そして丹波・八上城の波多野秀治や黒井城の荻野氏らだ。信長は光秀に丹波、秀吉に播磨の攻略を命じていた。

 桐野さんは「これら3地点の中間に三田があり、連携を断ち切るために織田方が攻めた」と語った。当時の城の位置は定かではないが、現在の三田城跡周辺だと思われる。

 「荒木村重の一族、荒木平太夫重堅が立てこもったが、羽柴秀吉や佐久間信盛、光秀らの大軍に包囲され、恐らく大きな戦闘はなく城を開け渡したのではないか」とし、「城は小さくても、(織田方が警戒するほど)存在価値は大きかった」と話した。

 桐野さんによると、この包囲戦で「道場河原」など三田周辺の4カ所に、監視や攻撃の拠点となる付城が築かれたことが、「信長公記」や光秀の手紙に記されているという。ただ、正確な場所は分かっていない。光秀はこの後、八上城の包囲戦に復帰している。

 講演を前に三田城跡を歩いたという桐野さん。「案内板には『秀吉に攻められ』とあったが、光秀も参戦しているので、ぜひ書き足してほしい」と会場を沸かせた。(高見雄樹)

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