三田

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「御許し下され」。謝罪の言葉が並ぶ手紙
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「御許し下され」。謝罪の言葉が並ぶ手紙
日中戦争での南京陥落を祝い、日の丸の旗を手に行進する人々(提供)
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日中戦争での南京陥落を祝い、日の丸の旗を手に行進する人々(提供)

 1月29日付の三田版コラムで、兵庫県三田市の女性(90)の戦争体験を紹介した。記事では、夫が兵隊時代に使っていた「教練日誌」や、出征する兵隊を見送る際に「万歳」して軍歌を歌った女性の記憶に触れ、日本が戦争へ突き進むため、「犠牲的精神」を国民に植え付ける教育の怖さを伝えたいと思った。掲載後、女性が電話をくれた。夫がしたためた手記が見つかったという。「私が死んだら、夫の戦争は誰も知らなくなるやろ?」。切実な思いを感じ、手記を読み進めた。

四月四日 米船VO七一号に上船 故国日本にと向ふ

兵庫県有馬郡

私達もどうする事も出来ません

ません せんのです

今 私の出来る事は何もありません

どうか御許し下され度く 度く

度く 度く

四月四日上船米船VO七一号

八時 日本時間九時 沙角出発

故国日本に向ふ

 1枚の黄ばんだ原稿用紙に目を引かれた。何に許しを請うているのだろう。敗戦後に米軍の捕虜になった後、日本に帰国する船の中で書いたようだ。ほかの12枚には出征した中国・広東の風景や、帰国への思いを記している。

 小学校の教師だった男性は1941(昭和16)年、21歳で陸軍の歩兵連隊に入営した。翌年、日中戦争で日本軍が攻略した中国・海南島や広州、広東に赴いて警備活動に当たる。太平洋戦争が始まると、44(同19)年に独立歩兵大隊に編入され、約80人の小隊を率いた。終戦後は米軍の捕虜になり、46(同21)年5月に浦賀に帰国した。

 女性によると、男性は帰国後はほとんど戦争を語らなかった。しかし、戦争の映画を見ていた時にぽつりと言った。「戦争はこんなきれいなもんちゃう」

 女性が違いを問うと「死ぬ前に天皇陛下万歳なんか言わんし、親の名前も呼ばん。撃たれたら『うー』ってうめいて終わりや」。時間がある時は遺体を火葬したが、相手の攻撃に遭う時は身を守るために遺体を踏みつけて進んでいくこともあったという。

 泊まる場所を探す時には村を襲い、その30分後には風呂に入っていたと話した。小さな子どもを抱えた女性が風呂敷を包んで山の方へ逃げていったといい、「あんた、そんなことをしたん?」と女性は目をうるませながら怒った。

 「人、殺したん?」。女性がさらに聞くと、夫は殺していないと答えて黙った。夫は69歳で亡くなったが、息子には人を殺したと伝えていたという。

 男性は何に許しを請うていたのだろう。女性に聞いた。「部下に何もしてやれない無念さ、人間的でないことをしてしまった後悔、日本に帰れないつらさ…。おおらかな人柄で、そんなことを軽々しくできるような人ちゃうから。表に出せん複雑な思いがあったんとちゃいますか」

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