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凍傷でかかとの肉をそぎ落としたという今北初男さんの左足=三田市
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凍傷でかかとの肉をそぎ落としたという今北初男さんの左足=三田市

■資源奪い合う悪循環 今北初男さん(95)

 1945年、中国・奉天で終戦を迎えた今北初男さん(95)は、捕虜になった日を鮮明に記憶している。

      ◇

 兵舎の外は見渡す限りの野っ原。倉庫に残る食糧で数日を食いつなぎ、あてどなく部屋にいると、昼にけたたましい音が聞こえた。戦車だ…。背が高く目は青く、銃を構えた男が次々入ってきた。ソ連兵だった。

 「外にざーっと並ばされてな。(日本兵が持つ)銃と剣を1人ずつ目の前に積めっちゅうわけや」

 9月半ば。駅に連れられ、貨車に戦友10人ずつ押し込まれた。行き先は分からない。ずっと銃口を向けられ、干し草を布団代わりにして寝た。

 〈長引く冷夏で食糧難に陥り、戦争で物資や人手が不足したソ連は、復興のために捕虜を集めたとされる。抑留者らの回想集を読むと、連行を拒む日本兵らは「ダモイ(帰国する)」と言われて汽車に乗せられた〉

 「情けなかったんは、われわれが入隊した神武屯を通った時です。ここで(終戦前の)寒い冬を過ごしましたやろ。車窓から(ソ連軍の襲撃で)崩されたれんがの兵舎跡が見えましてなあ。戦友と『ひどいなあ』と言うて涙が出ました」

 44年の冬は神武屯で部隊の通信係を務め、原っぱで演習を繰り返した。他部隊に電話線をつなぐ想定で、重い機材を馬に積んで走り、設営してすぐ撤収する。氷点下15度を下回って左のかかとが凍傷になり、壊死が広がらないよう麻酔なしで肉をえぐった。「鼻の皮も(凍傷寸前で)白うなっとるど」と戦友に指摘され、慌てて手でさすって温めた思い出がよみがえった。

 ソ連と中国を隔てる黒竜江(アムール川)を船で渡って対岸のブラゴベシチェンスクに着くと、また汽車に乗り継ぐ。太陽が地平線から昇るのを見て「東」に進んでいると分かった。

 「(東部の)ハバロフスクに着くまでは本土に近づいとんやから帰国できる希望はあった。せやけど汽車は西に向いた」

 気が落ち込むにつれて粉雪が舞い、なけなしの上着の襟をきゅっとかき合わせた。広大なバイカル湖の南岸沿いを走り、果てしない平原を抜ける。半月かけて着いたのが炭鉱の街・カラガンダだった。

 「ここがどこかも分からんし言葉は通じない。石炭の掘り方も分からん。作業がノルマに達しなくてソ連兵に何回も手で『×』印をつくられたわ。ハラショー(良い)、ニイハラショー(悪い)から覚えてなあ」

 過酷な食生活が改善し始めたのは抑留2年目の47年秋。穀倉地帯ウクライナで小麦が豊作になるなど、食糧事情が好転したのも大きかったという。

 「炭鉱でソ連兵がパンをこっそりくれたことがあった。おーい、ヤポンスキーと呼ばれてな。腹が減ってないかと聞かれて『ダー(はい)』と返事して。毎日会う人が同じでっしゃろ。少しずつなじみが出るわな。採石の成績が良いと小遣いをくれて、たばこを買って吸ったこともある」

 〈話しぶりからはソ連兵への憎しみが感じられない。自由を奪った敵国なのに、個人は違うと割り切れるのだろうか〉

 今北さんは「捕虜はいかん。人を家畜みたいにさせる」と言いつつ、日本兵の境遇を察してくれる優しさもあったと振り返る。「人の根っこはおおらかやのに、困窮は人の判断を鈍らせるんやろなあ。捕虜で(人材を)埋め合わせしたんかしらんけどな。限られた資源を奪い合う。そんな悪循環の末にあるのが戦争やわ」(山脇未菜美)

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