三田

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「こっちが本気でやらな伝われへんからな」。練習を見る園田八朗さんはいつも真剣な表情だ=その田卓研
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「こっちが本気でやらな伝われへんからな」。練習を見る園田八朗さんはいつも真剣な表情だ=その田卓研
淡いピンク色に染まる水田の奥に、でかでかと書かれた教室名が目印=その田卓研
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淡いピンク色に染まる水田の奥に、でかでかと書かれた教室名が目印=その田卓研

 夕暮れ、一面に広がる水田の小道を、ジャージー姿の親子連れが歩く。カエルの鳴き声が響く中、向かったのは白い3階建て。一見すると何かの事務所だが、卓球教室「その田卓研」(兵庫県三田市下田中)だ。

 午後6時、練習が始まった。小中学生18人が集中してサーブを繰り出し、周りで虫取り網を持った保護者が球拾いする。30分後、椅子に腰掛けていた代表の園田八朗さん(78)が立ち上がると、整列した子どもたちが声をそろえた。「よろしくお願いします」

 ランニングや反復横跳び、ゲーム対戦…。「声が出とらん」と、園田さんの大声で空気がぴりっと締まった。集中力を途切れさせない。厳しさの理由をこう語る。「油断の心で卓球は負けるからな」

 門下生は三田や神戸市から通う。休みはほぼなく、練習は平日3時間、休日4時間。ここから、数々のトップ選手が生まれてきた。

    ◇

 終戦直後に大阪で生まれ、疎開した三田で育った園田さん。1950年代、日本卓球は黄金期だった。6人の世界王者が生まれ、家電店のテレビにかじりついた。八景中では靴置き場の隣に1台しかなかった卓球台で毎日サーブを研究。球の回転速度と制球力に磨きをかけ、有馬高では県代表として西日本大会に出場したが、1回戦で敗退した。

 卒業後は母が営む食堂を継ぎ、弁当販売で「ひともうけした」。卓球とは疎遠になったが、45歳で今の場所に食品加工工場を立ち上げ、学校給食や会社の食堂を手掛けると、ふと思った。何か、やり残してないか?

 「人生満たされてるはずやのに、卓球でナンバーワンになれんかった。選手を育ててみたい」。翌年、工場の2階に教室を開いた。

    ◇

 日本一を狙う-。門下生が成績を伸ばすと、天才卓球少女と呼ばれたロンドン五輪女子団体銀メダルの福原愛さん(30)も幼稚園のときに訪れた。小学5年の女児に挑み、3セットマッチで女児が勝った直後、愛さんの母が放った言葉を園田さんは覚えている。「5セットでお願いします」。愛さんは前半と打って変わった集中力で逆転。「勝負師やと思ったね。母も勝ちにこだわっとる」と振り返る。

 01年には門下生2人が愛さんらと代表チームを組み、東アジアホープス大会(小学6年以下)で準優勝。04年以降は全国上位から遠ざかるが、昨年12月の中学生県新人大会で男子は1、2位を独占。小学6年の女児も日本代表候補になるなど有望株がそろう。

 5年ほど前に会社経営をやめ、工場は全て練習場に。園田さんも年齢を重ね、ラケットを握って選手の相手をできなくなった。それでも今も厳しく、変わらず声で鼓舞し続ける。

 「本気でやった者にしか分からん世界がある」(山脇未菜美)

    ◇

 日本卓球の黄金期が再来しようとしている。張本智和選手(15)や伊藤美誠選手(18)ら世界のトップ選手が育ち、昨年には「Tリーグ」が発足。1986年度に16万人足らずだった競技人口は35万人を超えて強豪がひしめく。とはいえ、本気で頂点を目指す少年少女は一握りだ。三田市内の田園にあって33年間、日本卓球界を支えてきた名門の現場を訪ねた。

■その田卓研の主な実績

(かっこ内は他教室)

【1995年】東アジアホープス(小学6年生以下)日本代表 樋浦令子

【2000年】全国ホープスチーム優勝 照井萌美 岩見繭奈 瀧澤杏奈

【01年】東アジアホープス日本代表団体戦準優勝 (福原愛)照井萌美(川畑舞)瀧澤杏奈(石垣優香)

【04年】東アジアホープス日本代表 照井菜美

【08年】全国ホープス選抜チーム第3位 前瀧初音 前瀧美音 岸本絵理奈 合田あかり(森さくら)

【15年】全国ホープス選抜チーム優勝 松井翔吾(曽根翔・松田歩真・谷垣佑真・坂本倫太郎)

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