三田

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1989年8月2日付紙面
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1989年8月2日付紙面
【右上】三田サミットホテル。駅前ロータリーの街路樹が街の成熟を物語る=武庫が丘7、【左上】平成の幕開けとともに始まった三田国際マスターズマラソン=2012年6月、天神1、【左下】三田サミットホテルのロビー。約15年前まで新宮晋氏ら芸術家の作品展を月替わりで開催 武庫が丘7、【右下】1992年に全面開通した三田幹線=17年1月、弥生が丘1から撮影
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【右上】三田サミットホテル。駅前ロータリーの街路樹が街の成熟を物語る=武庫が丘7、【左上】平成の幕開けとともに始まった三田国際マスターズマラソン=2012年6月、天神1、【左下】三田サミットホテルのロビー。約15年前まで新宮晋氏ら芸術家の作品展を月替わりで開催 武庫が丘7、【右下】1992年に全面開通した三田幹線=17年1月、弥生が丘1から撮影

■記者が紙面解説<平成元年8月2日の紙面>

 7月の参院選で自民党が敗北した責任を取り、宇野宗佑首相が辞任。後任を決める党総裁選のスタートを1面で伝えた。兵庫県選出で河本派を率いる河本敏夫元国務相は立候補を辞退。同派の海部俊樹元文相が昭和生まれでは初めて首相の座を射止め、8月10日に組閣した。

 1面にはこのほか、当時のソ連を構成していたバルト3国のラトビアが、国家主権宣言をしたニュースも。ソ連から分離独立する動きが強まり、2年後の91年9月にエストニア、リトアニアと共に完全独立を果たした。同年12月にはソ連が崩壊。東西冷戦の時代は終わり、グローバル化の波が次々にやってくる平成の時代が進んでいった。

   ◇   ◇

 一面の赤土が広がる造成地に、7階建てのビルが威容を誇っていた。客室は58室。中華レストランと宴会場も備えた。

 1989年8月2日付は「市内初 本格シティーホテル」と見出しに取り、三田サミットホテル(兵庫県三田市武庫が丘7)の誕生を伝えた。

 本格的ホテルがなかった三田でこの年2月、中央町にビジネスホテル「三田セントラルホテル」が開業。サミットと合わせ、市内の客室数は一気に約120に。ビジネスや観光客を受け入れる都市の器ができた。

 「お客さんに場所を説明するのが大変でした」と、永井正洋支配人(52)は振り返る。12人の正社員で唯一、当時を知る存在だ。

 フラワータウン駅はなく、三田幹線も全線開通前だった。「その年の暮れに開かれた第1回三田国際マスターズマラソンで初めて満室になった」と永井さん。テクノパークへの企業進出のたび、宴会場ではパーティーが開かれ、近隣で唯一のレストランも繁盛した。

 だが、バブル崩壊後の不況で状況は一変。市内には新たなホテルもでき、競争は激化した。当初は客室を計120室に増やし、結婚式場なども加える計画だったが、逆に宴会場とレストランを閉鎖。跡地にパチンコ店と居酒屋が入った。

 30年目の今、客室はほぼ連日埋まっている。テクノパークなどに工場を持つ企業の業績が良く、出張利用が多い。「いろいろあったけど、地域に密着した存在にはなれたかな」と自負を込めた。(高見雄樹)

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