三田

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1989年3月15日付紙面
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1989年3月15日付紙面
【上】新しい工場や物流センターが並ぶ第二テクノパーク【下左端】薬の原料や製造した医薬品を検査する沢井製薬三田工場=18年8月【下中央】完成したセラミック素子をチェックする音羽電機工業の従業員=04年10月【下右端】日本最大の消防車製造工場「モリタ三田工場」=09年9月(モリタ提供)、いずれも三田市テクノパーク
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【上】新しい工場や物流センターが並ぶ第二テクノパーク【下左端】薬の原料や製造した医薬品を検査する沢井製薬三田工場=18年8月【下中央】完成したセラミック素子をチェックする音羽電機工業の従業員=04年10月【下右端】日本最大の消防車製造工場「モリタ三田工場」=09年9月(モリタ提供)、いずれも三田市テクノパーク

■記者が紙面解説<平成元年3月15日の紙面>

 バブル経済真っただ中の当時、日本各地で開発ブームが沸き起こっていた。

 三田版で「第二テクノ」構想を伝えた同じ日、1面では神戸市が内陸部の産業用地開発をさらに進める方針だと報じた。現在の神戸空港島を埋め立てる土採り場の跡地で、今の複合産業団地(神戸市西区)周辺に当たる。

 神戸版でも西神など4カ所の産業団地への企業進出が「ハイピッチ」だと伝えている。土地代が高いのに需要が旺盛な要因を「神戸ブランドが幸いしているのでは」との分析も加えた。

 経済面には「ダイエーがマンモス入社式」の記事。グループの大卒1300人が東京に集結。中内功社長が「プロとして自らのアピールを」と英語で訓示した。

   ◇   ◇

 製薬に特装車工場、その先にはドラッグストアの巨大物流センター。緩やかな上り坂に沿い、真新しい工場が続々と完成している。

 工業団地の「北摂三田第二テクノパーク」。46ヘクタールの土地は18区画に分かれ、ほとんどが売却済み。兵庫県阪神間への交通アクセスの良さや南海・東南海地震への備えから、人気の工場用地だ。

 テクノパークの“弟分”の開発に向け、関係者が動き出したのが平成元年だった。1989年3月15日付は三田市の依頼で、住宅・都市整備公団(現都市再生機構、UR)が、拡張に向けた調査を始めたと報じた。

 だが、バブル崩壊の影響で「第二テクノ」も苦難の道を歩む。96年までに、上内神と下相野の土地97ヘクタールの9割を買収したが不況が長期化。2005年、URは事業中止を決めた。

 当時、市助役だった前市長の竹内英昭さん(76)=同市=は「都市計画決定したものが中止になるのは断腸の思いだった」。

 竹内さんが市長に就任後の09年、民間の大和ハウス工業が事業を引き継いだ。リーマン・ショックの直後だったが、その後の景気回復で一気に土地を売却。大和の社内でも指折りの優良事業になった。

 テクノと第二テクノで計約5500人が働く今、「第3テクノ」の開発待望論がある。JR相野駅近くに、神戸の大手企業関係者が持つ山林が適地との声もささやかれるが、工場用地の売買は景気動向次第-。「第二テクノ」から学んだ教訓だ。(高見雄樹)

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