三田

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昭和64年1月1日の紙面
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昭和64年1月1日の紙面
【上】ニュータウンの風景。30年前は人口増加率日本一を続けていた=狭間が丘1【左下】1988年に開かれたホロンピア’88の会場。跡地は深田公園や人と自然の博物館に=弥生が丘(市提供)【右下】開設間もない関西学院大学神戸三田キャンパス=学園2(1995年ごろ、関学大提供)
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【上】ニュータウンの風景。30年前は人口増加率日本一を続けていた=狭間が丘1【左下】1988年に開かれたホロンピア’88の会場。跡地は深田公園や人と自然の博物館に=弥生が丘(市提供)【右下】開設間もない関西学院大学神戸三田キャンパス=学園2(1995年ごろ、関学大提供)
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■記者が紙面解説<昭和64年1月1日の紙面>

 日本経済は、後に「バブル」という言葉が定着した景気拡大に沸いていた。経済面の見出しは「“神武”超す大型景気」「実質4%台の成長」「力強く自律的に前進」など前途洋々だ。事実、この年の暮れには東京証券取引所の株価が最高値を記録した。

 一方、昭和天皇が病床にあったため、正月紙面としては、全体的に静かな印象だ。1面の隅で「天皇陛下 若干量の下血」などと病状を伝え、新年恒例の一般参賀が記帳だけに切り替えられたことを報じている。2面には「10・50(10時50分) 常陸宮ご夫妻がお見舞いのため皇居へ」など、分単位で動静を記した記事も確認できる。

 昭和はこの日から6日後に終わった。

   ◇   ◇

 ニュータウンは増え、イベントの跡地は博物館に生まれ変わる。青野ダム(兵庫県三田市)周辺は自然散策の家族連れやサイクリストであふれる-。

 平成の始まりが迫っていた1989年1月1日、本紙三田版トップは「2001年へタイムトリップ」と題して12年後の未来予想図を大展開していた。昭和天皇が病床にあったとはいえ、「正月くらいは…」と紙面はあふれんばかりの勢いに満ちている。

 執筆した記者は今や神戸新聞の執行役員だが、まだ入社6年目だった。その前年、延べ100万人でにぎわった北摂丹波の祭典「ホロンピア’88」の三田会場に足を運び、その高揚した雰囲気が「紙面のアイデアにつながった」と振り返る。

 まさに右肩上がりの高揚感が街を包んでいた。三田市の人口増加率は87年、初めて日本一となり、後に96年まで10年連続の金字塔を打ち立てる。

 予想図には、誘致中だった関西学院大学神戸三田キャンパスと、計画段階のカルチャータウンという夢の実現を掛け合わせ、そこに暮らす関学の外国人講師と記者がバーベキューを楽しむというくだりもある。

 「現状を見ても、描いた未来は大きく外れていない」と役員は自画自賛する。ただ、人口を「20万人」としたのは誤算。2011年の約11万5千人をピークに、今年3月末時点で11万2373人にとどまる。

 平成が間もなく終わる。私たちは令和の将来をどう描くだろう。元年の三田版をめくり、時代に思いを巡らせた。(高見雄樹)

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