三木

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よく手入れされたグリーンの先には、緩やかなフェアウエーが続く=三木市細川町垂穂、三木ゴルフ倶楽部
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よく手入れされたグリーンの先には、緩やかなフェアウエーが続く=三木市細川町垂穂、三木ゴルフ倶楽部
西日本一のゴルフ場数をアピールする看板=三木市吉川町大沢
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西日本一のゴルフ場数をアピールする看板=三木市吉川町大沢

 ナイスショット-。勢いよく飛び出した白球を目で追うと、なだらかに下るフェアウエーや緑の木々が美しい。兵庫県三木市ゴルフ協会長の稲田三郎(66)は「グリーンはきちんと手入れされ、コースのアップダウンもきつくない。三木のゴルフ場は本当に質が高い」と目を細める。

 三木のゴルフ史は1932年、「廣野ゴルフ倶楽部(くらぶ)」(三木市志染町広野7)の誕生から始まる。本場英国の名設計者C・H・アリソンが手掛けたコースは自然の地形を巧みに利用し、戦略性と美しさを兼ね備えているとされる。歴史とその風格に憧れるゴルファーは多く「廣野を見て死ね」との言葉も生まれた。

 コースのアップダウンが少なくて済む山あいの丘陵地に、距離がしっかりと取れる土地の広さ。阪神間からのアクセスの良さ。そして「聖地・廣野」のブランド。この地にはゴルフ場建設の条件がそろっていた。

 70年代以降、開発が進んで次々と開場し、“ゴルフ銀座”の異名もついた。バブル景気でさらに増え、91年には20を数えた。だが、バブル景気の崩壊で厳冬の時代を迎えた。会員権の市場価値は暴落し、取得のために入金した預託金の返還請求が相次いだ。経営が圧迫され、運営主体が変わったゴルフ場もある。

 「バブル前後で大きく変わった」と稲田。経営悪化で法的整理に追い込まれたが、外国資本などによる買収を経て復活を遂げ、値下げやサービス拡大で顧客取り込みに努めた。ナイター営業を実施したり、ブレザー着用のドレスコードを撤廃したりと若者が入りやすいカジュアルなゴルフ場も増えた。「ゴルフ場の層は厚くなった」と振り返る。

 「西日本一!! 三木市に25のゴルフ場」。中国自動車道の吉川インターを降りると、巨大な看板が目に飛び込んでくる。その向こうには各ゴルフ場への道筋を示す看板がずらりと並ぶ。

 今やゴルフ場は三木市内で500人程度の雇用を生み、大会が開かれれば、周辺施設も潤う。稲田は「この町はゴルフ場の数も質もある。立派な基幹産業だよ」と笑った。=敬称略=

(篠原拓真)

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