ひょうご経済プラスTOP 経済 世界情勢混迷これからの社会が進む道は… パソナグループ代表・南部靖之さん(68) 

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世界情勢混迷これからの社会が進む道は… パソナグループ代表・南部靖之さん(68) 

2020.03.22
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東京都千代田区、パソナグループ本社の大手町牧場(撮影・園田高夫)

東京都千代田区、パソナグループ本社の大手町牧場(撮影・園田高夫)

 新型コロナウイルス禍にあってなお、この人は元気だ。創業経営者が持つパワーがみなぎり、トレードマークのオレンジのネクタイが映える。およそ半世紀前、石油危機に伴う自身の就職難から起業を決意し、主婦の再就職を支援する人材派遣業を始めたパソナグループ(東京)代表の南部靖之さん(68)。時流を巧みに読み解き、逆境をチャンスに変える思考でグループの躍進をけん引してきた。その目に、暗雲垂れ込める世界とこの国のこれからはどう映るか。(西井由比子)

 ー神戸・舞子の出身ですね。

 「明石海峡大橋の橋脚が立っている場所に、実家がありました。孫文の移情閣(六角堂)が子どもの頃の遊び場で、結婚式は舞子ビラ神戸で挙げました。南部家はもともと大阪・船場で『紅亦(べにまた)』という繊維商社をやっていたようですが、世界恐慌の時に曽祖父か祖父の代でつぶれたらしい。親父は船会社に勤め、戦後に復員して事業の立て直しをやったそうです。僕は大学を出て普通に就職するつもりでした。でも、石油危機で就職口がなかった。その間に人材派遣のビジネスを思いつき、大学卒業の1カ月前に起業したんです」

 ーなぜ人材派遣業だったのですか。

 「大学を出るまでずっと、近所にあった通照院というお寺の住職が開いていた塾に通っていて、ここでの経験を生かして学生時代、大阪・千里ニュータウンで仲間と学習塾をやっていたんです。国内初の大規模ニュータウンで若いサラリーマン世帯が多く、生徒は500~600人いたかな。出産までは働いていたというお母さんたちも多く、よく『空き時間に働けたら』という話を聞いていました。就職活動が進まなかった時にふと思い出し、『和・英文のタイピングや電話交換、経理といった仕事に時間単位で携わる人たちがいたら雇いますか』と、企業の人事担当者に聞いてみたところ、不景気で減量経営をしたい先方のニーズと合致した-というわけです」

 ー連結売上高3千億円超、従業員数9千人超、世界15カ国・地域に拠点を持つ大企業に成長しました。

 「僕はいろんな場所でいろんな人と偶然出会うんですが、人との縁を大切にしています。経営学者の野田一夫先生は偶然出会った人生の師の一人です。先生は『ニュービジネス協議会』の初代理事長も務めていて、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄会長兼社長と引き合わせてくれた。当時、僕が25歳。僕ら3人は後に『ベンチャー三銃士』と呼ばれ、『孫君』『澤田君』『南部ちゃん』と呼び合う仲で、今も連絡を取り合っています。そういうつながりからビジネスが広がった面もあるし、この会社にしても親父や友人たちとの7人で始めて、亡くなった親父のほかは皆残って支えてくれています」

 「当社の企業理念に『企業という車は利益と社会貢献の両輪が相まって前進する』という言葉があります。これは親父から教えられました。僕はこの言葉を胸に、社会問題の解決に取り組んできたつもりです。農業やらアニメのテーマパークやら、本業と随分違うことをやるなと思われているでしょうが、この理念に基づいているんです」

 ー本業外ということでは、阪神・淡路大震災時、経営難で営業を終了したハーバーランドの西武百貨店跡施設を引き受け、復興に尽力したことは有名です。「西武は南部に任せろ」のキャッチコピーで、被災地を勇気づけました。

 「当時僕は米国に住んでいたんですが、大地震を知って翌日飛行機に飛び乗り、神戸に向かいました。復興のためには、雇用をできるだけたくさん生みださなきゃいけない。それで西武跡を引き受けたんです。客船事業もやりましたね。コンチェルトです。ちょうど東京に新本社ビルを建設する計画があり、資金があった。全社員が集まる会合が1月下旬にあり、その場で問いました。『私たちの手の中には2本の矢がある。1本は本社ビルの建設計画。もう1本は神戸の復興支援だ。今ここで、どちらかの矢を選びたい』と。すると、復興支援の方にブワーッと拍手が起こった」

 「ただ、それだけじゃ資金が全然足りないので、友人たちに助けてもらった。孫君、澤田君、セガ・エンタープライゼスの社長だった中山隼雄さん、日本マクドナルド創業者の藤田田さん…。1週間で、20億円くらい集まったんじゃないかな。翌年に『神戸ハーバーサーカス』として開業しました。後々負債が膨らんで、パソナはつぶれるんじゃないかと言われたものです。未上場会社だったからできたことですね」

 ー今、対岸の淡路島への投資がすごい。アニメのテーマパーク「ニジゲンノモリ」では、クレヨンしんちゃん、火の鳥、ナルト、ゴジラ…と、次々にアトラクションを開設。ハローキティのレストランもつくりました。淡路島に、なぜここまで?

 「小泉純一郎さんが首相の時に『強い農政をやりたい』と言っていて、その後、フリーターやニートと呼ばれる若者が増えていたことから、若者の就農支援を考えたんです。用地相談に兵庫県の井戸敏三知事を訪ねたところ、淡路島を紹介された。人口流出が続き、耕作放棄地もある、と。淡路島には子どもの頃に泳ぎに行ったことがあるくらいで、何も知らなかったんですが、結果的にはめちゃくちゃ良かった。車で1時間程度で行ける世界遺産が周囲に五つもあり、空港は四つもある。インバウンドの誘致を見込んで、観光事業も始めました」

 ー新型コロナ禍で、世界情勢は風雲急を告げています。世の中はこれからどうなっていくのでしょうか。また、これからの働き方とは。

 「原油価格、EUの英国離脱、米中問題…と良い要素がない。歴史は繰り返す。かなり厳しい時代が来るとみるべきです。コロナ問題では、生産を中国に頼りすぎた結果、中国からモノが入ってこず、混乱が起きている。生きるため、食べ物だけは自給自足できるようにしないといけません。このまま不況に陥ると、恐慌まで行く可能性もありますよね。東京一極集中から脱却し、地方にある豊かな土地、産物に目を向け、そこで完結できる仕組みを考えていく必要があります」

 「ウイルス感染拡大の防止を目的にテレワークが急速に浸透し、働き方が変わってきています。従来の『企業依存型社会』から一人一人がライフスタイルに合わせて働くことのできる『個人自立社会』への転換を進めていくべきです。同一労働同一賃金は起業当時からの僕の御旗。企業に属さず、たとえ週に1度の労働でも格差はなくさないと。就職氷河期世代も高齢者も、誰もが生きる社会をつくっていきたい」

【なんぶ・やすゆき】1952年生まれ、神戸市垂水区出身。関西大工学部卒。筆まめで、巻紙やレターセット、バースデーカードを常備。従業員の冠婚葬祭時には直筆のメッセージを贈る。アルコールは苦手。O型。

【パソナグループ】大阪・南森町で1976年2月に前身の「テンポラリーセンター」を創業。現社名は、ラテン語のペルソナと英語のパーソン(人、人格)から。「人材ビジネスを世界規模で展開する」という経営目標達成への願いを込めた。