北播

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加古川に寄り添うように形成された河高の集落(左)=加東市、加東大橋から
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加古川に寄り添うように形成された河高の集落(左)=加東市、加東大橋から
河高と記された交差点の表示板=加東市河高
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河高と記された交差点の表示板=加東市河高
神戸新聞NEXT
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 「鎮岩」「福甸」「天田」…。みなさんは、ご存じだろうか。私たちの住む兵庫県の北播磨地域には読むのが難しく、不思議な地名が多い。どう読むのか? そして、どんな由来が? 疑問を感じた記者たちが実際にその場所を訪ね、「土地の記憶」をひもといてみた。

 川が陸より高いからなのか。それとも川の水位が高いからか。2年前に地元の編さん委員会が発行した歴史書には、地名の由来を「集落が川岸のやや高台にあることによる」と記されていた。いずれにせよ、河高は川と切っても切れない関係にある。水の恩恵を受ける一方で、度々水害に見舞われてきたからだ。

 この地は加古川を抜きにして語れない。西脇から加東市へ真っすぐ下る川が、河高にきて東に振れ、再び、西に戻るなど蛇行する。大雨の時は、氾濫しやすい。そこになぜ集落を築いたのかは疑問だが、雨が少ない地域だけに、水の恵みに勝るものはないのだろう。船で物資を運ぶ船運文化で栄えた土地でもあった。

 まちの歴史は古い。市教育委員会によると、あちこちで縄文土器が出土し、弥生期の土器も発掘された。山の上には有力者らが眠る古墳群も。市教委の藤原光平学芸員(33)は「ここは歴史の流れと文化がコンパクトにまとまり、当時の日本の集落形成を知る縮図的な土地」と説明する。

 その歴史を如実に物語るのが、市観光協会がある「滝野にぎわいプラザ」の建設前調査で見つかった約1500年前の遺構だ。人形の土製品も多数発見され、藤原学芸員は「ここは集落と墳墓の間、つまり現世とあの世をつなぐ中間点で、祭事をする建物だった可能性が高い」と指摘する。人形土製品は神の気を静めるための道具。川を神としてあがめ、恐れも抱いたことを示す、というのだ。

 加東大橋から、河高地区を眺める。初夏の日差しの下、加古川はゆったり流れ、氾濫とは無縁のように見える。しかし、ひとたび大雨が降ると大暴れするのだろう。河高の名は、日本人が古来、培った自然との接し方を、時を越えて語り掛けているようにも思える。(中西大二)

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