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「江戸の姫路にはまだまだ分からないことが多く、興味が尽きない」と話す清水勲さん=姫路市
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「江戸の姫路にはまだまだ分からないことが多く、興味が尽きない」と話す清水勲さん=姫路市

 江戸期から姫路藩の飾万津で魚問屋などを営んできた高島家に伝わる古文書をこのほど、市民グループ「姫路古文書研究会」が翻刻し、冊子にまとめた。商売上の帳簿や藩の財政、家出人の届け出、祭り屋台に関する規則など、多岐にわたる内容。同会代表の清水勲さん(78)=兵庫県姫路市=は「活字で読める形にしたことで今後の研究に役立てば」と話している。

 高島家は「嶋屋」の屋号で、江戸初期には魚問屋、幕末には干鰯商を営んでいた。現在は「シマヤ」の社名で、化学工業薬品などを販売している。2016年、高島隆三郎社長(69)宅=同市=の蔵にある歴史資料の閲覧を同会が願い出て、会員7人が3年がかりで解読を進めてきた。

 資料は幕末期のものを中心に約2200点に上り、82項目に分けて冊子に収めた。干鰯商としての帳簿にはアツタ(厚田)、マシケ(増毛)、ルルモヘイ(留萌)など蝦夷地の地名が見られ、北前船が運んだ魚肥を扱っていたことが分かる。

 また当時の姫路藩は財政難が続いており、有力商人や地主から 資金を集める調達講をしばしば催した。高島家は積極的に出資に応じ、そのまま献上することもあった。慶応4(1868)年には約4600両(約4億6千万円)もの献上を申し出た記録があり、その隆盛ぶりが分かる。

 興味深いのは、飾万津の町政を行う町会所の「御用留(業務日誌)」。ここには家出人や捨て子の届け出、賭博の摘発、種痘所の設置などの事柄が細かく記録されており、町民の暮らしぶりがうかがえる。高島家は町大年寄という要職を担っていた。

 清水さんは「大年寄は町民の入札で選ばれており、意外に民主的に運営されていた。家出や賭博の記録は多いが、比較的軽い刑罰で許されたようだ。捨て子は里親希望者があれば預け、いなければ町で養育するなど、のんびりとした良い時代だった」と見る。

 家の歴史を知った高島さんは「これまで交易や医療などテーマ別での研究の申し出はあったが、今回初めて資料全体が世に出ることになった。飾磨や野里には戦災を免れた旧家も多いので、他の家々の文書研究も進めてほしい」と願う。

 冊子は150部作成し、郷土史愛好会や飾磨区内の公民館に寄贈した。今後、市内の図書館などにも託して一般公開していく。(平松正子)

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