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発見された創刊当時の姫商新聞を持つメディア研究部の木村弘喜部長(前列中央)と部員=姫路商業高校
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発見された創刊当時の姫商新聞を持つメディア研究部の木村弘喜部長(前列中央)と部員=姫路商業高校
創刊当時の姫商新聞を眺める初代新聞部部長の松田さん=高砂市
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創刊当時の姫商新聞を眺める初代新聞部部長の松田さん=高砂市

 姫路商業高校(兵庫県姫路市井ノ口)で1961(昭和36)年の開校に合わせて発行された学校新聞「姫商新聞」の創刊号が見つかった。「栄光あれ!!わが学び舎」との見出しが躍り、新たな学校づくりに取り組む熱意がほとばしる。最新の135号に至る発行に携わった新旧部員も感慨を新たにしている。(地道優樹)

 同校の前身、市立姫路商業高校は11(明治44)年に開校。戦後の49年に姫路東高校と合併し、校名が一時消えた。そこで同窓会を中心に復活運動を展開。61年に現在地に校舎が新築され、県内初の県立商業高校として再出発した。

 新聞は今年3月、唯一の新聞部員だった木村弘喜部長(17)=2年生=が、部室内の図書室を清掃中に見つけた。棚の奥にクリアファイルが袋に包まれた状態で保管されていた。一部欠落していたが、61年の創刊から82年12月(第79号)まで65号分のバックナンバーを確認した。

 6月20日付の創刊号は標準的な新聞と同じブランケット判の4ページ。1面で学校長が「教養豊かな近代的産業人の育成」を訴えるほか、同校設置期成同盟会会長を務めた石見元秀・姫路市長も寄稿。播州一円の政財界を挙げて開設にこぎつけた道のりをつづった。

 生徒会規約草案、上品で質素なことを重視した制服の規定、サークル紹介なども掲載。「ベン・ハー」の映画評論、エッセーや詩など文芸作品の投稿もあった。

 学校新聞は当初、年3~5回発行。初代新聞部長で第1期生の松田伸一さん(74)=高砂市=は「新聞を通して良い学校づくりをしようという気持ちだった。単に学校を批判するのではなく、提案や啓発になるような記事を目指した」と振り返る。

 その後の紙面では、会社訪問や自習時間の多さの是非をテーマにした校内討論会の企画、生徒会活動に関する全校生徒アンケートなどを展開。教師と生徒の関係や、70年代の若者気質を指した「無気力、無関心、無責任の三無主義」の考察など学校・社会問題も積極的に取り上げた。

 新聞部は今春、部員の減少から「メディア研究部」に部名を変更。1年生の女子生徒6人が入部した。紙面編集の指揮を執る木村部長は「昔の紙面から熱意や姿勢はもちろん、発行回数やコーナーも見習って面白い新聞を作っていきたい」と意気込みを語る。

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