阪神

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1969年に撮影された厚生年金プール。プールサイドに足の踏み場もないほど人があふれている(西宮市情報公開課提供)=西宮市枝川町
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1969年に撮影された厚生年金プール。プールサイドに足の踏み場もないほど人があふれている(西宮市情報公開課提供)=西宮市枝川町
約千平方メートルの巨大なひょうたん形プール(右)=西宮市枝川町
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約千平方メートルの巨大なひょうたん形プール(右)=西宮市枝川町
厚生年金プール跡地にある浜甲子園運動公園の野球グラウンド=西宮市枝川町
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厚生年金プール跡地にある浜甲子園運動公園の野球グラウンド=西宮市枝川町
神戸新聞NEXT
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 1969(昭和44)年に撮影された古い写真がある。画面を埋めているのは、水着姿の人、人、人…。真ん中のプールはとても真っすぐ泳げそうにない混雑ぶりで、プールサイドも休憩する人でごった返している。ここは兵庫県西宮市南部の「厚生年金プール」。95年の阪神・淡路大震災まで、これが夏の定番風景だった。

 同プールは67年、今の浜甲子園運動公園(枝川町)に建てられた。市はそれまで野球場などがあった場所を地域スポーツの拠点にしようと、社会保険庁の「厚生年金スポーツセンター」を誘致。近くの甲子園、香櫨園の両海水浴場が2年前に閉鎖され、市内に公営プールがなかったこともあり、野球場や体育館などとともにプールも造られた。

 約2万平方メートルの敷地を持つ巨大プール施設は、遊べる仕掛けが満載だった。約千平方メートルのひょうたん形プールがにぎわいを見せたほか、高さの違う飛び込み台は当時珍しく、主に若い世代が楽しんだ。子どもが列を成した滑り台、幼児が安心して入れる浅いプールもあった。1日の利用料金が大人200円、子ども100円と割安だったことも、人気を後押しした。

 「泳ぎたい子どもの行き場は、ここぐらいしかなかった」と話すのは、近くで育った公務員寺本昌次さん(58)=西宮市。小学生の頃、毎年夏になると友だちと自転車で通ったという。「飛び込み台でより遠くに飛ぼうと、台の上を走って盛大にこけた」と笑う。

 天気のいい週末や夏休みは特に親子連れであふれかえった。「だから迷子が多かった」と、プールサイドの売店で働いていた男性(76)=同市。売れ筋はたこ焼きやフライドポテトで「店の前に行列ができ、飛ぶように売れた」と振り返る。

 ただオフシーズンは閉鎖していたため、人気ぶりとは対照的に年間トータルの採算性は良くなかった。さらに阪神・淡路大震災で施設は全壊してしまう。市には再開を望む市民の声が多く寄せられたものの、経営していた厚生年金事業振興団の財政悪化もあり、修復は困難として撤去された。

 巨大プールがあった場所に、今は2面分の野球グラウンド。かつての喧騒(けんそう)はない。近くの浜甲子園団地などから家族連れが訪れ、周辺の青々とした芝生などで遊ぶのが日常の風景だ。

 寺本さんは、跡地のグラウンドで練習する少年野球チーム「兵庫西宮ボーイズ」で代表を務めている。15年前、さら地になったプール跡を初めて見たとき「あんなに人気やったのに…」と喪失感に襲われた。子ども時代に唯一無二の場所だった“夏の楽園”。指導する野球少年たちにも見せてやりたかった。ふと思うことがある。(村上貴浩)

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