阪神

  • 印刷
震災当時の思いを語る井内敏雄さん=宝塚市内
拡大
震災当時の思いを語る井内敏雄さん=宝塚市内
井内葉子さん
拡大
井内葉子さん

 阪急売布神社駅(兵庫県宝塚市)にほど近い住宅街に、井内敏雄さん(89)は60年近く住んでいる。一帯は阪神・淡路大震災で多くの建物が全半壊し、同市内でも被害が大きかった地域だ。

 井内さんの自宅も全壊。妻の葉子さん=当時(62)=が圧死した。1階で朝の支度をしているところ、一瞬で家がつぶれた。無事だった井内さんは、何度も何度も妻の名前を呼んだが返事はないし、どこにいるかも分からない。数時間後、助け出された葉子さんの体はまだ温かかった。でも、息をしていなかったことを覚えている。

 突然奪われた伴侶との生活。震災から数年は「大変でしたね」と声を掛けられても、言葉を正面から受け止められなかった。

 香川県出身の井内さんと、兵庫県尼崎市で育った葉子さんは、ともに大阪市立中学校の国語教師だった。結婚後、2人で貯金し、宝塚に居を構えた。葉子さんの両親と住み、一人娘を育てた。

 井内さんは、3校で校長を歴任した。葉子さんも58歳まで働き、「黙ってついてきてくれた」。小遣いがなくなれば財布にお金を足してくれた。仕事の相談も乗ってくれた。震災に遭った1995年は結婚から40年ほどを迎え、2人で全国各地を巡る旅行を始めたころだった。

 思い出が詰まった家も失った井内さん。故郷の香川に帰るか、宝塚に住む娘夫婦の近くに転居するか。選んだのは、現地での自宅再建だった。「もといた場所でないと家内を拝めない」と思い至ったからだ。大工は妻の教え子が紹介してくれた。毎年1月17日は午前4時半に起き、地震が起きた5時46分には、1階に置いた仏壇の前で黙とうをささげてきた。

 駅前にあった市場はなくなり、再開発ビルが建った。「私もいつまでも悲しい悲しい、ではね。生きていかなあかんから。時間が人の感情や理性を制御するんやね」。25年の歳月が、井内さんを少しずつ前に向かせてくれた。

 昨年、宝塚市の職員から、ゆずり葉緑地(同市小林)に新設する「追悼の碑」に、震災で犠牲になった市民の名前を刻むと知らされた。井内さんは「賛成」と答えた。「家内と過ごした何十年のことは決して忘れはせんけど、時代が過ぎれば、だんだん遠のいていきますわな。うれしいやないですか。名もなき市民の名前を未来永劫残してくれるなんて」。そう話し、優しげにほほ笑んだ。(大盛周平)

阪神の最新
もっと見る

天気(4月7日)

  • 17℃
  • ---℃
  • 0%

  • 19℃
  • ---℃
  • 10%

  • 17℃
  • ---℃
  • 0%

  • 19℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ