淡路

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25年前まで旧五色町内で開かれていた近畿高校駅伝(「五色町スポーツの歩み」より)
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25年前まで旧五色町内で開かれていた近畿高校駅伝(「五色町スポーツの歩み」より)

 25年ぶりに淡路島で開かれる近畿高校駅伝。選手だけで約700人、沿道で応援する保護者らやスタッフなどを含めて約1万5千人が訪れる見込みだ。地元からは津名高の男女が出場する。24日の号砲を前に、かつて地元開催の近畿高校駅伝を走った人々、これから走る高校生らの思いを伝えたい。(高田康夫、吉田みなみ)

 スタートラインは五色郵便局(洲本市五色町都志万歳)前だった。“花の1区”と呼ばれていたという。

 ちょうど25年前の近畿高校駅伝。全国でも指折りの選手の中に、当時洲本実業高3年生だった石野(旧姓・松岡)理恵さん(42)=岡山市=の姿があった。

 「理恵ちゃん、頑張れ」。石野さんの実家はスタート地点のすぐ近く。沿道に集まった近所の人々が大きな声援を送る中、号砲とともに力強く走りだした。

 「マラソンやトラック競技は1人じゃないですか。永遠に1人での闘い。でも駅伝はそうじゃない。つないできてくれたたすきの重みがある。チーム一丸となって頑張れる」

 高校卒業後、天満屋に入社し、駅伝の主力メンバーとして活躍。マラソンでも世界選手権日本代表にまでなった石野さんは、駅伝の魅力をそう語る。

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 淡路島で駅伝の歴史は長い。戦後すぐに始まった淡路島1周西日本府県対抗駅伝(1948~64年)を皮切りに、県高校駅伝(64~69年)、県郡市区対抗駅伝(73~82年)と、他地域から選手が集まる大きな大会が島内で開かれてきた。

 82年からは、それまで奈良県で開催されてきた「聖徳太子駅伝」が、旧五色町内のコースで「近畿高校駅伝」として再出発。85年には女子部も新設され、全国トップレベルの高校生ランナーが島を駆け抜けるようになった。

 最初の82年と83年の大会に、柳学園高(当時)のメンバーとして出場した会社員、細川剛さん(54)=洲本市=は「OBもたくさん応援に来てくれて激励してもらった」と振り返る。1区10キロを走った83年大会では、洲本実業高の選手とともに強豪校を途中までリードし、自身のベストタイムをたたき出した。

 94年大会で6区5キロを走った淡路広域消防の職員、荒川公博さん(42)=淡路市=も自身のベストタイムを記録した。当時は洲本実業高3年。「他の地域での大会とは声援が全く違った。地元で走れることはやっぱり大きい」

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 島内の中高生ランナーの目標になってきた近畿高校駅伝だが、実業団による淡路島女子駅伝(90~2008年)との兼ね合いで、94年を最後に各地の持ち回り開催になった。最後の大会の2カ月後、淡路島は阪神・淡路大震災に襲われた。

 それから25年。「近畿高校駅伝が再び淡路島に戻ってくる」と朗報が届き、「私たちで最後だっただけに、本当にうれしかった」と石野さん。「多くの人が集まり、他府県の人にも淡路島を知ってもらえる。島が盛り上がる」と期待する。

 石野さんは「私は自分にプレッシャーをかけてしまっていた。地元開催でも気負い過ぎず、応援をパワーに変えて走ってほしい」。四半世紀を経て、島内から出場する高校生にたすきを託した。

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