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明石人骨などについて語る稲原昭嘉さん=明石市上ノ丸、明石市立文化博物館
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明石人骨などについて語る稲原昭嘉さん=明石市上ノ丸、明石市立文化博物館
西八木海岸で見つかった明石人骨の石こう模型=明石市立文化博物館提供
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西八木海岸で見つかった明石人骨の石こう模型=明石市立文化博物館提供
藤江川添遺跡から出土したメノウの石器=明石市立文化博物館提供写真
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藤江川添遺跡から出土したメノウの石器=明石市立文化博物館提供写真

 「明石原人は99%現代人の骨」「かつては高校教科書に載り」。兵庫県明石市などが発行した2019年の図録の文章に衝撃を受けた。私が高校生のとき、日本最古の人類と習った気がするのだが……。「明石原人」はもう「原人」ではないのだろうか。着任5カ月の新人記者(27)が明石最大のロマンを調べてみた。(長沢伸一)

 「明石人骨がたとえ現代人のものだったとしても、6~13万年前の明石に『日本最古の人類』がいた可能性はあるんです」。明石市文化振興課の稲原昭嘉さん(57)は力を込める。

 かつて、70万年前までさかのぼるといわれた日本の旧石器時代。明石人骨も「70万年前」とされた時代があった。だが、2000年に発覚した石器捏造事件で日本の考古学は大きく修正を迫られた。

 現在、日本列島に人が住み始めたのは約4万年前とされている。

 時代に翻弄されたのは「明石原人」も同じだ。

 1931年、当時在野の研究者だった直良信夫(後に早稲田大学教授、1902~1985年)が西八木海岸で人骨を見つけた。

 だが、45年の東京大空襲で焼失。人骨の評価をめぐりさまざまな意見が出る中、当時学界の権威だった長谷部言人(1882~1969年)が、写真と石こう模型から70万年前の人骨と鑑定し、「明石原人」と名付けて発表した。

 日本史の教科書にも掲載され、「明石原人」は全国区になる。だが、考古学が進歩し、コンピューター解析などの結果、今では「現代人の骨」と考えられている。

 日本史教科書の大手、山川出版社(東京)によると「現在は教科書の注で、かつて原人とする説があったことや、最新の研究で新人であることが判明したと記述している」という。

 教科書から「明石原人」は消えていた。だが“夢”がついえた訳ではない。

 理由の一つは人骨が発見された地層だ。

 85年の発掘調査などで、発見場所の西八木海岸は約100万年前の地層の上に「西八木層」と呼ばれる6~13万年前の地層が重なっていることが判明。人骨はこの地層から発見されたと考えられている。

 二つめの希望は稲原さんが97年に藤江川添遺跡で見つけたメノウ製の「ハンドアックス」だ。

 出土したのは約1万3600年前(縄文時代)の地層。「だが、縄文時代に近畿で見つかる石器はサヌカイト製が多く、同じ時代にメノウ製の石器があるとは考えにくい」

 しかも、見つかった石器の形状は「縄文以前の形をしており、明石人骨が見つかった地層の6~13万年前ごろと重なる」という。

 「メノウ製である以上、もっと古い時代のものではないか」と稲原さん。

 明石原人は幻に終わったが、〈日本最古の人類〉がいた可能性は消えていないのだ。

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