日々小論

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 尼崎市出身のヤクルト2軍監督、池山隆寛さんにとって、野村克也さんとの関係は、師弟を超えているのかもしれない。

 始まりは、野村さんがヤクルトの監督に就任した30年前にさかのぼる。地元の市立尼崎高校から入団し既に中心選手として活躍していたにもかかわらず、他のチームメートと同様、野村野球の洗礼を受けた。

 「チームにタレントはいらん」。名指しこそされなかったものの、派手な振る舞いをたしなめられた。「三振を半分に減らし、前に飛ばせば何割かはヒットになる。そういうバッティングを心掛けろ」。愛称「ブンブン丸」のもとになるフルスイングを否定するような要求に葛藤した時期もあった。著書などでそう打ち明けている。

 指導者としての資質も見込まれていたのだろう。引退後、楽天の監督を引き受けた野村さんに誘われ、1軍コーチとして鍛えられた。

 野村さんが急逝して10日近くたつが、メディアでは追悼の声や記事が絶えない。野球ファンに限らず、多くの国民から愛されていた証拠だ。厳しさの中に、不器用な愛情が見え隠れする人柄を、「もう一人の父親」のように感じていた人も少なくないのではないか。

 訃報が伝えられた翌日、野村さん宅を弔問した池山さんは、教え子の中で一番大泣きしていたように見えた。「一緒にやれて幸せだった」。画面の中で顔をくしゃくしゃにしながらインタビューに答えていた。

 池山さんにはいつか、指導者として頂点を極め、「野村イズム」を継承する第一人者になってもらいたい。「おう、池山、何やっとるんだ」。叱咤(しった)のぼやきがどこからか聞こえてくるような気がする。

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