日々小論

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 25年前の1月18日の朝を小学校で迎えた。

 神戸市東灘区の国道2号沿いに建っていた単身者向けの集合住宅は揺れに持ちこたえた。ガスも電気も水も止まったとはいえ、部屋には布団がある。避難所に身を寄せるのは申し訳ないと、そうは考えても、余震の夜をとても一人で越えられないと思った。怖かった。

 歩いてすぐの小学校の校庭でたき火にあたっていると、隣からスナック菓子の袋が回ってくる。一口いただいて隣の人に。次はチョコレート。一片もらって、また隣に。

 どの教室も避難者でいっぱいだった。端っこに寄せられていた児童用のいすを一つ借りて座り、目を閉じる。

 ほとんど叫ぶような声をあげて再会を喜び、抱き合う人たちがいた。教室のドアを一つ一つ順番に開け、「〇〇はいませんか」と名を呼んで捜す男の人は泣いていた。

 夜が明ける前だったと思う。避難が呼びかけられた。臨海部でガスタンクが漏れた、北方面に向かえ、という。みなが静かに列をつくって廊下を歩き、階段を下りていった。

 「慌てないで」「ゆっくり行きましょう」「大丈夫」。暗がりの中、周囲で掛け合う声がどれだけ心強かったか。一人でないと思えることがどれだけありがたかったか。しばらくして、ここは避難しなくてもいいと告げられた。

 真の復興とは人の心の復興にほかならない。25年が過ぎたきょうの朝の光は、あすへの希望となって被災者の心を等しく照らしているか。日陰でひとり、うつむいている人はないか。

 「一人ではない」と思えたあの日に立ち戻って、26年目の被災地を歩いていく。

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