日々小論

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 「わだし」と濁って聞こえたのは、秋田出身議員という先入観があったためだろうか。

 1997年9月11日に発足した第2次橋本改造内閣。政権の要の官房長官に就いたのは、自民党旧竹下派の実力者・村岡兼造(かねぞう)さんだった。阪神・淡路大震災の復興も担務の一つ。就任会見で財政改革などに慎重に答えていたが、震災に質問が切り替わると口調に力がこもった。

 「実はわたし、与党復興プロジェクトチームの座長を今日まで務めました。被災地も何度も行きました」。仮設住宅から恒久住宅への移転や生活支援が最大の課題と、事務方が用意したメモも見ずに即答した。

 被災地の実情を理解しておられる-と、兵庫県や神戸市の幹部からは歓迎の声が上がった。しかし野党や市民が掲げる被災者支援法案には、財源面から厳しい姿勢を示していた。当時の山崎拓・自民党政調会長の「村岡先生は宗旨替えされたらしい」という発言が印象に残る。

 支援法は翌年、与野党の共同提案で成立した。しかし阪神・淡路には適用されず、行政措置を求める付帯決議にとどまった。「党から声が上がれば、いろいろ工夫できるんじゃないか」との官房長官発言は、やはり被災地を案じていたことをうかがわせる。

 その後、村岡氏は2003年の衆院選に落選し、政界を引退する。翌年に政治資金規正法違反事件に絡んで在宅起訴され、無実を主張したが最高裁で有罪が確定した。昨年末に88歳で亡くなった。

 復旧・復興施策のキーパーソンの一人だったのに、なぜかじっくり話す機会がなかったのが悔やまれる。震災25年を迎える被災地の姿を、どんな思いで見つめていたのだろう。

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